気まぐれ日記 03年10月

03年9月はここ

10月1日(水)「秋遠からじ、ゴキの出る幕じゃない・・・の風さん」
 ぼやぼやしていたらもう10月だ。超前向きの風さんだけど、人生カウントダウンは強く意識している。充実した人生になるかどうかは、これからにかかっている。輝く50代はもう目の前だ。
 実は、某出版社から依頼されていた原稿(6700字程度)がなかなか出来なくて、昨日がその締め切りだったので、とうとう最後の手段、有休をとって執筆に専念した。言い訳になるが、ひと月前の発熱ダウンの後遺症が、けっこう足を引っ張った。何をするにも気力が続かなかったのだ。
 で、とにかく昨夜午前零時少し前に、電子メールとファックスで原稿を出版社へ送付した。画像を貼り付けた図を使用するので、これが重たくて、メール送信は手こずった。それでも、一段落には違いないので、就寝前に一人でワインで祝杯を上げて寝た。
 次の仕事が待っているのは事実だが、しばしの開放感はいいものだ。
 今日は速攻で帰宅し、夕食をとる前にトレーニングに出かけた。8月30日以来である。その30日から1週間もしないうちに発熱してダウン。そこから、時の流れが遅くなった・・・いや、流れに乗れない状態になったのだ。老化現象も進んだ。第一が老眼。ここ一ヶ月根気が続かなかったので、読書量が減った。その結果、老眼が進んだ。さらに、今日の昼食時、ラーメンを頭から浴びそうなくらい体のバランスを崩しそうになった。やばい。
 短時間のトレーニングの結果は、「疲れる〜」のひと言。体重は増えていた(でも、肥満度−0.6%)。幸い脂肪以外のものが身についていたらしく、体脂肪率は17.9%と低かった。しかし、そんなことで安心していてはいけない。これからは、週に2回トレーニングに通って、早く元の体に戻すつもりだ。
 夕食後、たまっていた仕事を少しした。埼玉県の某教育委員会への返事と、「数学文化」創刊号の送付準備(3冊)である。終わって少しホッとした。
 外はすっかり秋の気配に包まれている。巷では衣替えだ。だんだん朝晩の冷え込みがきつくなるだろう。
 そんな季節の到来なのに、夕食時、台所のガスコンロ付近で、チビゴキが出現した! な、なんで〜?

10月4日(土)「虎渓山永保寺再訪・・・の風さん」
 岐阜県多治見市に虎渓山永保寺という古刹がある。独身時代の冬のある日、今のワイフ(今も昔もワイフは一人きり)とドライブに行ったことがある。積雪の道を腕を組んで歩いて、私は何度も滑って転びそうになった。
 その虎渓山永保寺で先月火災があり、国宝の本堂が全焼してしまった。いつか再び訪れてみたいとときどき話し合っていた思い出の地だけに、衝撃は大きかった。珍しくワイフの時間がとれたので、ミッシェルで出かけた。
 いったん近所の喫茶店でモーニングを食べてから、知多半島道路、名古屋高速そして東名・中央道と走って、11時頃永保寺の駐車場に着いた。踏み切りのそばの専用駐車場である。まず、ここの記憶からして、ない。20年以上も前のあの日、ぼくらはどこにレビンを停めたのだろうか。看板に書かれた案内図を見ると、かなり寺域は広そうである。
 踏み切りを渡り、右に折れて、少し行くと左側に竹林にはさまれた狭い道があったので、こっちかな、と入っていったら、両脇に兵馬俑みたいな像が立っていて、その奥は墓地だった。違った。昔もこんな風に道に迷いながら歩いたような気がしてきた。
 立派な境内に入って行っても、やはり記憶は戻らない。進入路が違っているのだろうか。記憶にある永保寺は、池にかかった太鼓橋、大きな石灯籠、立派な本堂だけである。駐車場からすぐだったような気がする。まず、その立派な本堂がない。これは焼失したのだから仕方ない。その跡地は白砂が敷きつめられていた。かなり宏大な本堂だったようだ。本堂前のイチョウの古木の前で、再建の寄付を受け付けているテントがあった。「些少ですが」と断って、わずかの額を献金した。火事の原因は今でも不明で、天井付近から出火したらしいという。横でワイフがおみくじだるまを購入したら、「小吉」だった。
 観音堂などを眺めて歩いた。持参のデジカメでじゃんじゃん写真を撮りながら、昔の記憶をよびさまそうとしたが、やはり池にかかった太鼓橋、石灯籠だけで、他の物は思い出せなかった。かなり思い出に残ったドライブのはずなのに、これである。何とも情けない。過去を懐かしがる年齢じゃないのかもしれない。もっと前を見つめて生きていけ、ということか。
 遅いランチを食べた帰路、長女と次女のバースデーケーキを購入した。
 家に着いたのは、午後5時頃である。私はすぐに準備してトレーニングに出かけた。
 体重は元に戻ってきた。肥満度−1.1%となった分だけ体脂肪率が増加して、19.4%だった。我ながらタフだと感心する。
 バースデーケーキを食べるとき、子供らに訓示をたれた。
 ここまで健康に育ったことが一番うれしい。その健康な体は、両親のせいではない。遠いご先祖様からのいただきものである。その健康な体を生かして、世の中に役に立つ生き方をしてほしい。そして、その生き方を決めるのは自分である。両親はそれを応援するだけだ。ただし、その生き方が納得できない場合は応援しない。たとえば、意味もなく大学へ行こうとするのは決して許さない。そんなことをするなら、さっさと職業について世の中のために働いてくれ。それでも、とにかく大学へ行きたいと言うなら、自分の金で行け。
 日本評論社の「数学セミナー」12月号用に提出した原稿に対して、編集者からファックスで再検討依頼が届いた。その回答と自分で修正した分をまとめて、また電子メールで送信した。
 早起きして遠くへ出かけたせいか、意外と長い一日であった。
 明日は取材で金沢へ行き、明後日は出張で富山である。

10月5日(日)「女性の誘惑にも負けず・・・の風さん」
 結局金沢取材の準備で夕べは遅くなり、寝不足のまま起床した。それでも、一昨日購入したばかりの電気カミソリの性能が優れているので、気持ちのいい朝になった。
 特急で名古屋へ出、15日の勉強会で上京するための切符を駅で購入した。10月から新幹線のダイヤが大幅に変更になったので、昨夜は列車を決定するのに手間取った。続いて、チケットショップへ回り、図書券をまとめて購入した。毎月配本される『徳川実紀』を購入するためだ。
 名古屋から金沢までは特急「しらさぎ」を利用した。車内は新幹線のグリーンに近いゆったり感があるが、いかんせん速度は出ないし、しかも揺れる。通路をはさんだ反対側の窓際にスタイルの良い娘が座っていて気になったが、金沢までの車中では幕末の佐賀藩に関する本を読むことにしていたので、それに没頭していた・・・なんてウソか(笑)。12時過ぎたので、名古屋駅のコンビニで買ったおにぎり3個で昼食にした。
 金沢は2回目である。昨日の虎渓山永保寺ではないが、ワイフと結婚1周年の記念で出かけている。桜が満開のころだった。ここもいつか再訪をと話し合っているうちにひとりで来てしまった。
 目的は大野弁吉を顕彰して作られた「からくり記念館」を見学することである。まだ着手していないが、来年はからくりに関する長編を出そうと思っている。主人公は秘密だ。大野弁吉ではない。むろん田中久重(からくり儀右衛門)でもない。
 金沢滞在時間は4時間半ほどなので、時間を惜しんで駅からタクシーに乗った。キャリー付きのバッグはコインロッカーに納めた。
 金沢港の先端にある記念館は木造で特異な外観をしている。パンフレットは、以前名古屋大学の末松教授から頂戴していたので、内容確認が主目的である。指南車や茶運び人形などの実際の大きさや動きを目で見て確認するのである。からくりは歯車が重要な要素部品となっていた。
 ここを2時すぎに出発して、銭谷五兵衛記念館へまわることにした。交通の便が悪いので地図をもらい、歩くことにした。日中の予想最高気温は21℃。日は照っていたが、多少風もあってウォーキングには最適である。・・・しかし、銭谷五兵衛記念館まではけっこう遠かった。2kmはあったろう。
 加賀の豪商銭谷五兵衛の生涯は波乱に富んでいて、小説家としてはよだれが出たが、案の定、既に作品が世に出ていた。その中に、新鷹会の大先輩村上元三さんも含まれていた。さらに、五兵衛の孫むすめ千賀(ちか)に焦点を当てた作品まであって、愛知県の方言でいうなら「こりゃいかんわ〜」という結末だった。
 銭谷五兵衛の館の売店で参考資料を購入後、タクシーを呼んでもらい、遊び半分の気持ちで妙立寺(みょうりゅうじ)へ向かった。忍者寺である。遊び半分というのは、2回目だからである。この地方のタクシードライバーは話し好きらしい。最初に乗ったドライバーもそうだった。忍者寺の参観は予約制なので、タクシー無線で連絡してくれて、4時からの組に入れるようになった。面白いドライバーだった。ケータイが2度鳴ったのだが、着メロが、電話のときは「電話だよ」、メールのときは「メールだよ」と子供の声で言うのだ。忍者寺までの料金は2700円だった。高え〜。
 忍者寺の中の記憶も相当にあいまいで、ほとんど初めて見たようなものだった。同じ見学組の中にやけにスタイルの良い娘がいて(またか)、かなり気になったが、親子ほども年が違う娘に見惚れていると、OmO教授と同類と思われかねないので、奥歯をかみしめて見学に没頭した・・・ってウソはばれるよなあ。
 忍者寺からまたおしゃべりなドライバーが運転するタクシーで金沢駅へ戻った。
 駅に着いたのが午後5時頃である。ここでようやくホッとひと息いれて、コーヒースタンドに入り、うまいコーヒーを飲んだ。
 明日の出張のために、今夜中に富山のホテルに入らなければならない。
 5時31分発の特急「はくたか」に乗った。
 チェックインして部屋へ入り、バスタブに湯をはりながら、ズボンプレッサーをセットしてしばらくしたら、部屋の電話が鳴った。フロントの若い女性からで、「さっき頂戴した前金のクレジット領収書にサインをいただくのを忘れました。今からお部屋へいただきにうかがってもいいですか?」「ちょ、ちょっと待ってください・・・」私は上半身裸で、ズボンをはいていない。
 いやはや、女性の誘惑が続く日だなあ。その後どうなったかって? 知ーらない!
 ホテルの窓から下を見たら、駐車場があって、その向かいに怪しい店のネオンがけばけばしく輝いていた。ドキドキ。

10月6日(月)「よく出来たミステリー・・・の風さん」
 出張先の富山まで、名古屋から特急で3時間半もかかる。料金は8280円である。その往復が貴重な読書タイムとなった。今回は、 大野優凛子さんの新作『城崎(きのさき)・松山 剣魂(けんこん)の殺人』(実業之日本社 838円税別)を読んだ。
 前作『消えた甲子園』を上回るよく出来た作品である。
 今回の作品の特筆すべき点は、剣道をうまく使ったことだ。何年か前に、テレビで全日本選手権の決勝戦を見たことがある。確か大阪府警の石田7段とかいう人が優勝したような・・・。勝負は一瞬で、私にはどっちがどう打って勝ったのか、速くてまるで分からなかった。ただ、胴の下の垂れに白地に墨黒々と書かれた「石田」の文字が印象に残っている。
 追う者(警部)も追われる者(容疑者)も剣道の達人である。進路こそ違ったが、学生時代に竹刀を交えたことがあり、お互いに相手の太刀筋は熟知している。追う者はひたすら前に出て攻める剣法であり、追われる者はひたすら待って打たれない剣法だった。攻めるから強く、守るから弱いのではない。攻めることも守ることも同じく強いのである。限りなくクロに近いが待ちの得意な容疑者を、状況証拠だけで自白まで追い詰めねばならない警部。この絶妙な対立が、手に汗握る緊張感をともなってクライマックスへと読者を引っ張っていく。状況証拠だけでは決して落とすことができないと知っている警部は、自分でなければ決してできない方法で容疑者を追い詰める。そのアイデアが実にすばらしい。そして、ラストに用意された容疑者の意外な行動は、事件の根底にある「剣の道をきわめてきた者でさえ殺人へと駆り立てた悲しくもつらい心情」をくっきりと浮かび上がらせる。容疑者の失った恋人への深い愛である。それが、並みのミステリー小説とは決して言えない感動を読者に与えてくれる。
 愛媛県出身という強みを生かして、四国・山陰地方を舞台にしている点も好感がもてた。

10月7日(火)「子猫が出現・・・の風さん」
 会社から帰ったら、家人から「子猫が家の周りで鳴いている」と言われた。サンルームに出てみると、三毛猫でまだ生まれて2、3ヶ月とおぼしき子猫が窓によじのぼって、「家へ入れてくれ」と訴えている。雌とのことだ。外へ出るとどこまでもついてくるらしい。
 近所の野良猫の子供でないことは明らかだ。なぜかというと、このあたりの飼い猫、野良猫は家人は皆熟知している。おそらく、遠くから捨てに来たばか者がいたに違いない。
 子猫の様子から推定すると、生まれてからずっと家の中で飼われていたのだ。親猫と一緒だったろう。それがだいぶ大きくなって乳離れしたころに、やはり自分の家では飼えないと情けない判断を下した飼い主が、わざわざ遠くまで捨てに来たのに違いない。腹が立つ。いくら乳離れできたとはいえ、家の中からいきなり外へ放り出されたのでは、子猫の方だってとまどうに決まっている。
 知らない猫が窓の外を通ると警戒して走り回るシルバーも、相手が子猫とあって、最初は平然としていたそうだ。ところが、次女らが子猫が可愛いと騒ぐので、嫉妬したらしく、すねて、バスケットにもぐりこんだり、我が家で一番存在感のない長男の膝の上に、突然ちょこんと乗ったりしたという。
 シルバーは雄だし、相手は雌の子猫なので、もし共存が成立するなら、可哀そうなので家で飼ってもいいと思っているのだが、「絶対だめ!」と珍しくワイフが断言しているので、ことは簡単にはいかない。

10月8日(水)「いつも動物愛護週間・・・の風さん」
 名古屋市内へ出張するので、ワイフに最寄の駅まで車で送ってもらった。
 乗ってすぐ、ワイフが目の前にクモとクモの巣を発見した。「きゃ。内側だわ」そう。車内にクモの巣が出来ていたのである。クモは橙色と黄色のツートンカラーだった。しかし、驚くことはない。先日も、車に乗り込んだら、顔にクモの糸が引っかかった。そのときから車内にクモがいたのだ。あれから何を食べて生きていたのか。ずいぶんと大きくなったものだ。・・・なんて感心している場合ではないか。
 とりあえず駅までワイフは冷静に運転した(偉い!)。駅に着いて、私はカバンからティッシュをとりだし、外から運転席側へまわり、左手ですくうようにクモをティッシュで包んだ。そして、近くの藪へ持って行き、解き放した。まるで、手の中の蛍を逃がすように・・・って、文学的な表現をしている場面じゃないか。
 1日の出張を終えて帰宅した私は、すぐその足で体育館へ向かった。ただし、夜なので、短時間メニューである。それでも汗はかく。トレーニング後の結果。肥満度−0.9%で、体脂肪率18.1%である。まずまず、というべきか。毎週水曜日にはトレーニングに行きたい。そして、目標としては、肥満度−5%以上、体脂肪率も15%程度にしたい。でも、年寄りの冷や水って言われるかもしれないな。
 今日も、子猫が一日中家の周りを走り回って侵入の機会を狙っていたそうだ。次女がキャットフードや水を与えているので、とりあえず餓死する心配はない。我が家はクモもネコも大切にするのだ。
 次女がつぶやいた。
「子猫の名前はペコちゃんよ」
 すかさず私が口をはさんだ。
「違う! チーズというのだ」

10月9日(木)「チーズの寝床・・・の風さん」
 8時から会議があるので6時45分に家を出た。珍しく道路が空いていて、1時間で着いた。7階まで階段を使い、ようやく席について左ポケットを探ると、ミッシェルを降りるときに突っ込んだ高速道路の領収書が1枚ない。一昨日の出張の清算に使うのである。正門を入るときに、同じ左ポケットに入れた社員証を出したのだが、そのときに落としたに違いない。急いで、元来た通りに足元を見ながら戻り、正門まで来てしまった。立っている守衛にも確認したが拾っていないという。(落として風に吹かれて飛んで行ってしまったのだろう)と舌打ちしながら再び歩き出したら、近くの植え込みの中にあった!
 朝から運が良いと思いながら席でいろいろしていると、会議が始まるよ、と手招きされた。腕時計を見ると、席に到着したときの時刻から変わっていない。また、電池が切れたのだ。今の腕時計は年に3回くらい電池交換を要する。よほど内部での動きに抵抗があるのだろう。
 帰宅したら、本が2冊届いていた。
 二階堂玲太さんの『罠−戦国長篠秘帖』(叢文社 1600円税別)。既に4冊目になる。二階堂さんは新鷹会の仲間だが、あっという間に著書の数で並ばれてしまった。今回の作品も、二階堂さん得意の戦国物で、信長、家康、信虎といったおなじみの顔ぶれだけでなく、家康を守る剣豪忍者として堂野目類之助という人物が登場する。この類之助に私は興味を感じた。恐らくフィクションだろうが、物語の鍵を握る人物に違いない。
 もう1冊は、東善寺の村上住職からで、月刊郷土文化誌『上州路』10月号である。
 チーズは今夜から玄関前に置いた箱の中で寝るらしい。

10月11日(土)「他人の宣伝をしている場合ではない・・・の風さん」
 また鈴木輝一郎さんから新刊本が届いた。恐るべき執筆速度と達成度である。
 今回の作品は、『中年宮本武蔵』(双葉社 1700円税別)。帯の表に、「驚天動地 奇想天外」とある。タイトルとこの二つで、およそ内容が分かる(というより、全く想像もつかないということが分かる)し、それによって期待感が大いに膨らむ。
 赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件の真相が不明で、一般に知られている話は、実は、後に出来た浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」からの類推である。それと同様に、宮本武蔵の生き様も不明なことがほとんどで、一般に知られている話は、吉川英治の名作にして創作『宮本武蔵』である。吉川の作品『宮本武蔵』には、実在の人物はほとんどなく、彼の素晴らしい想像力の産物が読者を魅了してやまないのだ。とにかく傑作であることに間違いはない。
 一般に小説家の間では、忠臣蔵や宮本武蔵は書かない方が無難とされるテーマである。
 既に傑作が存在していて、それを超えるのが難しいからである。
 鈴木輝一郎さんは、それに敢えて挑戦した。しかも、そろそろ来年の大河ドラマが気になる時期である。
 本を裏返すと、帯の裏の文句が目に入った。中年期の宮本武蔵は、ほぼこんな感じであったのは間違いない、と断言している鈴木さんの鼻先に指をつきつけ、鈴木夫人が「あなたそっくり、悪いところだけが」と言ったとか言わなかったとか。読まねばならぬ。しかし、うまいなあ、このキャッチコピーは。いつか私も使おう。

10月12日(日)「チーズの合否の行方は?・・・の風さん」
 チーズ(と呼んでいるのは私だけだが)のためにワイフが猫用トイレを購入してきた。他人の家の庭で用を足すのも問題だが、ひたすら我が家の敷地内に施肥を繰り返してもらっても迷惑だからだ(現に、車庫の中は野良猫の小便で鼻が曲がるほど臭い)。
 猫用トイレを買ってきたからといって、即、屋内猫の仲間入りというわけにはいかない。どれだけ賢い猫であり、我が家の猫にふさわしいか、じっくりと見定める必要がある。
 次女とワイフがトイレにチーズのう@ちを庭から掘り出してきてセットした・・・が、そこでしない。私が2階の書斎の窓から外を眺めたら、チーズが2軒向うの家の庭で遊んでいた(そこまで遠出するのか、お前!)。長男が玄関のドアを開けた隙に、チーズが家に滑り込んできて、シルバーのエサ入れに突進。欠食児童のようにむさぼり食い出した。ワイフが抱き上げてもまだ口をもぐもぐさせながら暴れた。・・・これじゃ、ダメだぜ。
 夕方トレーニングに出かけた。トレーニング後の結果は、肥満度−1.4%で体脂肪率17.8%、となかなか良い数値が出た。今後は筋肉をつけることを心がけ、肥満度よりも体脂肪率を確実に落としたい。

10月13日(月)「ようやく達磨に目を入れた・・・の風さん」
 完全週休二日制の会社に勤務しているので、祝祭日の感覚が消滅している。ところが、なぜか今日「体育の日」は会社も休みとなった。それで、犬山で開催されているからくり展を見学に行こうと予定していたのだが、朝から激しい風雨のため、中止にした。来週にでも行こうと思う。
 激しい風雨にも耐えて、チーズは玄関(正確にはポーチ)から離れなかった。
 さて、これまで本を出版するたびに達磨に目を入れていたのに、今回の『怒濤逆巻くも』については、多忙な日々が続いていて、それができなかった。さらに、出版記念に自分に何かご褒美と、家族で使えるものも未購入だった。それが、ようやく実行できた。
 先ず、自分へのご褒美として、先日、電池が切れた腕時計に「お役御免」を言い渡し、新たに光発電のウォッチを手に入れた。これなら、執筆で目が回るほど忙しいときでも、電池交換のために走り回る必要がない。次に、昨夜、就寝前に達磨に目を入れ、ワイフと純米酒で乾杯した。そして、今日、これも長年欲しくてなかなか手が出なかった「エスプレッソ・メーカー」(ポルトガル製)を購入した。
 めでたし、めでたし、となったので、これからますます執筆に精を出すつもりである。既に、次の達磨は用意されている。

10月15日(水)「輝く五十代の始まり・・・の風さん」
 病気で休み過ぎて先月行けなかった勉強会に出席するため有休・上京である。往復のスケジュールは完璧にできている・・・筈だったが、急行から特急に乗り換えて名古屋へ出たら、随分早く着いてしまった。
 新幹線は読書タイムなので、出版後初めて自分の『怒濤逆巻くも』(上)を読み始めた。来月の講演のために、しっかりおさらいしておく必要がある。
 導入部はグッド。「つかみ」としてはほぼ及第点である。・・・と喜んでいたら、誤植が見つかった。やばい。どんどん出てくる。上着を脱いで半袖Tシャツになって夢中で読む。
 勉強会の前に神田の三省堂で11時10分に雨宮由希夫氏と会う予定だった。三省堂のメールマガジン「ブッククーリエ」で『怒濤逆巻くも』の書評を書いてくださった方だ(トップページ参照)。既に新人物往来社の編集長も到着していて、私が一番遅かった。雨宮氏とは初対面だったが、すぐに打ち解けて話し出した。すると、元三省堂本店の店長だった雨宮氏は、ロシア文学者で評論家の内村剛介氏の甥にあたる方であることが判明したために、内村剛介氏と何度も仕事をした編集長との間で話が盛り上がった。
 雨宮氏いわく、私の『怒濤逆巻くも』は最初の1、2ページを読んだだけで良い作品であることが分かった、文章も理系作家らしく均整がとれていて見事だ、これからもじゃんじゃん書いて欲しいと激励された。
 代々木八幡での勉強会に一番乗りだった。こんなことは何年ぶりだろう。今日は4本も作品が読まれ、なかなか勉強になった。途中で地震があり、私はすぐにケータイで自宅の様子を確かめた。東海地震は起きていなかった。
 勉強会後は、二次会に参加せずまっすぐ帰った。
 東京駅で夕食にラーメンを食べ、帰りの新幹線でも必死に『怒濤逆巻くも』に取り組み、210ページまで読むことができた。自分の作品とはいえ、やはり読破するのは大変だ。
 帰宅して、入浴し、就寝前にワイフとチューハイで乾杯した。今日は、私の50回目の誕生日。長女がマドレーヌを、次女がチョコレートケーキを焼いてくれた。肉体的にはだいぶ衰えてきたが、精神的には輝く五十代の幕開けだ。そう確信している。

10月16日(木)「半年ぶりの花粉症か?・・・の風さん」
 早朝から出社。今朝も、交差点で停まるたびにハンドグリッパーを握る。1回に左右10回ずつ。これを最低5回繰り返す。握力もめっきり衰えている。会社に着くと、今度は階段で7階までのぼる。息が切れる。まだまだ本調子ではない。頑張らねば。
 夕方から鼻水が出るようになった。何となく風邪を引いたような気がする。
 とにかく多忙な風さんは、へこたれていてはならない。退社後床屋へ寄り、マスターと冗談を言い合った挙句、養毛剤を買わされたが、おまけに養毛シャンプーをもらった。
 帰宅すると鼻水に加えてくしゃみまで連発するようになった。おかしい。花粉症だろうか。
 夕食にきのこご飯が出て、3杯も食べてしまった。
 どうにも気分がすぐれないので、入浴して早めに寝ようとしたら、わんさとメールが舞い込んで、返信を書いているうちに午前1時になってしまった。
 ようやくベッドに倒れ込んだが、その拍子に、くしゃみが3連発出た。

10月17日(金)「野良猫の正式名称は、チーズ・カマ・ペコの巻」
 高く晴れ上がった秋空の下、ミッシェルで隣県の製作所へ出張である。風もほとんどなく、とても気持ちがいい。
 今朝も鼻水とくしゃみが出るので、花粉症と判断して最強の抗ヒスタミン剤カプセルを飲んで出てきた。
 製作所での会議は午前中で終わり、午後は、ポートメッセ名古屋での展示会を見学に行った。近場での展示会見学は気楽で楽しい。
 今朝飲んだ薬が効いて、鼻水もくしゃみも止まった。やはり花粉症だったのだ。
 たくさんのブースがあるので、けっこう面白い展示にぶつかる。技術的に突っ込んだ質問をすると、アイデアが売り物の出展者はうろたえる。ノウハウを盗みに来たのかと警戒しているようでもある。実は、単なる興味と冷やかし半分なだけだ。しかし、面白いなあ。
 帰宅してすぐトレーニングへ行き(今日はちょっと体重が増えていた。肥満度−0.3%で、体脂肪率19.2%)、帰ってから、野良猫チーズの病院での様子を聞いた。外で飼うにせよ、雌猫なので、放っておくと遠からず母親になってしまう。そうなると、第2、第3のチーズがわんさと誕生してしまう。その連鎖を止めるためには、不妊手術を施すしかない。今日は、その準備のために、ワイフと次女がチーズを犬猫病院へ連れて行ってきた。
 まだ妊娠していないことや血液検査による病気の有無を確認し、伝染病予防の混合ワクチン注射をし、さらにノミやダニの駆除のための皮膚へ滴下する薬も購入してきた。こういった一連の処置を、チーズは素直におとなしく受けていたという。帰ってきてからも、いっそうおとなしくしているというから、いよいようちの猫になる心の準備ができたのかもしれない。明日は、私がチーズの前足の爪を切ってやるつもりだ。
 チーズ、チーズと私は呼んでいるが、今日、犬猫病院へ行って診察券ができたため、チーズは次女によって改名させられた。診察券には「ペコ」と書かれている。いつも腹ペコで、エサをやるとガツガツ食べる。腹ペコのペコなのである。くやしいので、私は提案した。「こいつの正式な名前は、チーズ・カマ・ペコとする」これなら、チーズと呼ぼうがペコと呼ぼうが、どちらも正しいことになる。問題は、野良猫がこの長い名前を自分のものとできるかどうか、だ。

10月18日(土)「玉屋庄兵衛の世界の巻」
 今日も秋晴れだったので、先週行けなかった、犬山市文化史料館で開催されている「からくり展」を見に、ミッシェルで出かけた。前日トレーニングに行っているので、体調はバッチリ、気分は爽快である。
 ちょうど午後1時半からの実演の直前に到着した。茶運び人形の仕組みはともかく、各部品がその必要性に応じて木質が選択されていることに感心した。桜、つげ、樫、花梨などで、精度が大事な歯車は歪を生じないように接着構造になっていた。水銀仕掛けの連理返りも面白かった。圧巻は九代目玉屋庄兵衛氏による弓曳き童子だった。仕掛けは当然優れたものだが、人形の首に能面作りの技術を利用したことで、からくり人形に命が吹き込まれた。人形の首を少し下に向けると寂しげな表情に見え、上向きにすると喜びの表情に見えるのである。
 他に、指南車、山車からくりのからす天狗など面白かったが、展示してあるからくりは九代目のものと、名古屋大学の末松研究室の作品ばかりだった。
 向かいのからくり展示館を覗いた後、山菜雑炊で腹ごしらえし、犬山城を初めて参観した。現代になって新築したお城ではない。天守閣のてっぺんに登って、回廊へ出て周囲を眺めると快晴だっただけに絶景だったが、下を見ると足がすくんだ。
 帰りに針綱神社を参拝し、ミッシェルで帰った。時間節約のために高速道路を利用したので、それだけで2700円もかかった。
 帰宅してからチーズ・カマ・ペコの爪を切ってやった。おとなしくされるままにしていた。

10月19日(日)「チーズ・カマ・ペコとの同居始まる・・・の風さん」
 昼前にチーズ・カマ・ペコを風呂場へ連れて行き、シャンプーしてやった。最初は逃げ回ったが、つかまえて洗い出すと観念しておとなしくなった。虎の交じった三毛猫で雌。やせこけていて、尻尾が異常に長い。か細い声でよく鳴き、うれしいとすぐ喉を鳴らす。捨てられた猫出身なので、顔は温和とは言いがたい。
 昨日の爪切りと今日のシャンプー試験に合格したので、いよいよ家の中に入れることにした。
 残る問題は、シルバーへの影響とチーズのしつけである。
 これまで何度か対面しているので、通行猫程度であれば、シルバーも堅いことは言わない。しかし、屋敷内に居座るとなると話は別だろう。どっちが立場が上か明確にならない限り、落ち着いていられないはずだ。チーズは子猫のせいか、シルバーに対して平然と振舞っていたが、シルバーは極めて不快そうな態度で、そばに近付くと唸った。「お前。態度がでけえぞ。生意気だ」といったところか。一日中そんな感じが続いた。
 しつけについてもまだ未知数である。一番心配なのは、食べることで、ひもじい思いをしてきたせいか、ガツガツしている。腹ペコみたいな行動をとる。食べられる物なら何でも食べようとする。シルバーのエサまで食べてしまうので、この食い意地をどのように矯正するかが問題だ。あと、トイレ、爪かき、テーブルの上歩きなど、課題は多い。さて、これからどうなるか。

10月20日(月)「鈴木輝一郎さんの同時多発執筆の巻」
 夕べは廊下でシルバーとペコの猫と猫のにらみ合いがあったらしい。おまけにシルバーはトイレで失敗して、尻の周りにウ@チをつけたためにワイフが浴室で洗ってやり、次女は寝不足で今朝は目覚ましが鳴りっ放しなのになかなか起きてこなかった。
 鈴木輝一郎さんの本がまた届いた。『家族同時多発介護』(河出書房新社 1400円税別)である。高齢化したイラクの家庭の話ではない。鈴木さんの親族に関わる長年の課題がテーマである。むろん小説ではないが、エッセイと呼ぶにはあまりにも生々しい。ノンフィクションの部類か。
 とにかく今年4冊目である。
 『怒濤逆巻くも』にかかりきりとなってしまった私は、ここ2年あまり鈴木さんのホームページをほとんど読んでいなかった。したがって、この本の中で展開された事実は、全くと言っていいほど認識していなかった。
 にもかかわらず、鈴木さんは、家族の同時多発介護を経験しながら、同時多発執筆を続けていたのである。驚異と言わずして何と表現できようか。
 仕事をして帰って来た私は、夕食後、若干読書をし、いま風呂から出て、もう寝ようとしている。怠惰な生活かもしれない。

10月21日(火)「鳴海風、日刊工業新聞に初登場の巻」
 忘れた頃にやってくるのは災害だけじゃない。幸運もそうだ。
 今朝出社したら、同僚から、昨日の日刊工業新聞「著者登場」のところに私が出ていた、と教えられた。同僚はコピーまでとっていてくれて、すぐに読むことができた。
 私の大きな写真付きのインタビュー記事である。
 歴史小説を書く理由から始まって、今回の『怒濤逆巻くも』の狙いとして幕末の歴史観を変えたかったことや、埋もれた人材の発掘、最後にサラリーマンとしてのひと言もちゃんとついていた。言いたかったことがすべて書かれていて、非常に満足である。記事を書いてくれた記者氏に感謝したい。
 帰宅したら、篠崎紘一さんから新刊『日輪の神女 紅蓮の剣』(新人物往来社 1900円税別)が届いていた。これは、私がかつて新潟日報で書評をした『日輪の神女』(郁朋社 1800円税別)の続編になるものだ。非常に珍しい古代歴史小説でありロマンを感じる。巻末の参考文献を紹介するページだけで7ページもある。こういった作品を書く苦労は想像にあまりある。それはいかに古代をビビッドに蘇らせるか、で、最低条件であろう。読み終えたらまた内容を紹介したい。

10月22日(水)「慌しい1日・・・の風さん」
 早朝からチーズ・カマ・ペコが鳴いて騒ぐ。空腹なのである。さすが名前の由来が「腹ペコ」なだけはある。
 8日の京都の件で、京大のK先生にファックスを送ったら、出かけた後、電話があったそうで、ワイフが対応した。すごく早口で陽気な先生だったとのこと。お会いするのが楽しみだ。
 今日は会社の定期健康診断だった。「胃の検査を受けないのですか?」担当者はバリウムを飲めと言うのだ。「ひどい目にあったので、もう受けないことにしました」「バリウムですか?」「胃カメラです」「受けた方がいいですよ」「あんな苦しい思いをするくらいなら死んだ方がマシです」と風さんはうそぶく。10年前に胃カメラで尊厳も人格も無視された経験は一生ついてまわる。でも、よそで人間ドック受けようかな。
 月曜日に洗車したら、火曜日から雨で、今日も午前中はしっかり降っていた。帰るころにはすっかり雨が上がったので、帰宅後、夕食も摂らずにトレーニングに行った。健康診断のために朝食を抜いたせいでもないだろうが、体重が減っていた。肥満度−1.7%で、体脂肪率は19.2%である。
 今日、ようやくネット注文した、石川真介氏の『不連続線』(光文社文庫)が届いた。石川氏の本は、これが初めてである。後ろの方を開いてみたら、「なーんだ、若桜木虔さんが解説を書いてるんじゃん」。

10月25日(土)「秋の夜長・・・の風さん」
 相変わらずチーズが飢えている。食事した直後でも食べ物を見ると我慢ができない。ニャーニャー鳴いて騒ぐ。
 いったい何と言っているのだろう? 「もっと食べたいよう〜」「後からもっと美味しそうな物出すなんてひどい!」「食べさせないと家をぼろぼろにしてやるぞ」・・・。昨夜、ミャウリンガルをネット注文した。届くのは12月上旬らしい。
 またいつ執筆地獄になるか分からないので、半年ぶりに眼科検査に行ってきた。精密検査の結果は「問題なし」。その足で、名駅へ行き、うまいサッポロラーメンを食べ、さらにコンプマートへ行き、最近のパソコン動向をチェックした。去年はWPCつまりパソコンのEXPOで、タブレットPCなんぞを見てがっかりしたが、今年は行ってないので、興味津々だった。結論から言うと、パソコンはあまり変化していない。一番大きな進化を感じたのはPDAだな。小型軽量ながらますますノートパソコンの性能に近付いている。
 帰宅してからトレーニングに行った。血圧計の修理が終わって設置されていたので、トレーニング後測定ができた。血圧は「問題なし」。肥満度−0.6%で、体脂肪率19.7%だった。最近脂肪がつくような食事をした記憶はないが、なぜか脂肪量が増えている。ま、直接脂肪の重量を測っているわけではなく、抵抗測定からの推算だから誤差はある。鈴木輝一郎さんの説では、かかとの垢すりをした場合としない場合で大差があるらしい。私の想像では、トレーニングで流した汗がまだ残っている場合と、乾いた場合で違うような気がする。
 11月の講演の準備が、まだ終わらない。秋の夜長に期待している。

10月26日(日)「花粉症にも負けず・・・の風さん」
 昨夜は急に花粉症がひどくなり、抗ヒスタミン剤を飲んだら、そのままソファでダウン。今朝の3時過ぎに目覚め、書斎で夕べできなかった講演の準備をした。寒くて、足温器を使った。
 7時頃に空腹を感じたので、椅子から立ったら、後ろのカーペットを4cmぐらいのムカデが歩いていた。ティッシュを2枚重ねてつまみ、玄関で放した。ついでに、朝刊を取り込んだ。
 屋内に戻ると、シルバーとチーズが取っ組み合っていた。真剣ではなく、じゃれているようだ。朝食をとり、猫どもに食べ物をやった。外が明るいのでカーテンを開いたが、ちっとも暖かくならない。今年初めて石油ファンヒーターをつけ、風呂で温まった。
 講演のビラが6割程度できたので、「大衆文芸」に掲載するための短編の資料読みに着手した。この短編は商業誌に売り込むつもりだったのだが、伊東昌輝先生からの依頼に応えるためには仕方ない。ストックがないのだ。だいぶ資料読みが進んできたところで、やはり原典が見たくなった。愛知県図書館まで行くしかないか、と思いつつも念のため地元の図書館で検索してみたら、あった! 閉館まで1時間もないが、急いでコピーしに行った。
 再び花粉症がひどくなり、夕食前に若干弱い抗アレルギー剤を飲んだ。

10月27日(月)「セイコー5・・・の風さん」
 だいぶ前から気にしていたことである。
 自分の古い荷物をひっくり返していると、色々なものが出てくる(やばい話では断じてない)。数年前に、古い机の抽斗から高校時代に使っていた腕時計が出てきた。憧れの秋田高校に入学したときに買ってもらった腕時計で、セイコー5である。昭和45年当時流行の自動巻き・防水タイプ。曜日と日にちが出る。25石。
 同じ機械式自動巻きのセイコー5は、リバイバルで現在の市場にも出回っている。値段も手頃である。昭和45年当時の値段だ。ただし、これは日本で生産されているのではなく、タイとか東南アジアで生産されているという。クォーツが当たり前の時代、うっかりすると100円ショップでも高精度な腕時計が買える。機械式自動巻きは、現代の若者に物珍しさも手伝って受けているらしいが、これはGショック以上に古い伝統のある腕時計なのだ。
 セイコー5を使わなくなった理由は、二つある。一つは、曜日の表示が窓にぴったり出なくなったこと。機械式なので中の部品が壊れるとこういったことは起きる。二つ目は、大学院に進学できたので、もらった奨学金でセイコー・シャリオという、これまた当時の人気の腕時計を買ったからだった。
 結局、通算9年間使用したセイコー5である。
 手に持って振ってみると、中の振り子が振れて、秒針が動き出す。デザインもそれほど悪くないので、曜日の表示さえ修理すれば、ときどき使えるのではないか、と修理のチャンスを狙っていたのだ。ただし、こういった骨董品はちゃんとした職人に頼まないと直るわけがない。
 その職人に出会ったのである。ある宝石時計店の店長で、セイコー5は山のように分解・修理したから、中の構造は手に取るように分かるし、不具合の原因も、中を開かなくても分かる、という。「やった〜!」と喜んだのもつかのま、「部品が壊れている可能性が最も高く、まず修理は無理」とのことだった。交換部品がないからである。それでも職人店長は、「無駄でも一度中を見てあげましょう」と申し出てくれた。
 残念ながら完全には直らなかった。しかし、内部を少しいじってくれたおかげで、ちゃんと文字が読めることもある。老体は若返らなかったが、職人に出会ったおかげで、セイコー5はたまに私の左腕で時を刻むようになったのである。

10月29日(水)「チーズも地域猫予備軍となる(?)の巻」
 夕食のときから夕食後までずっと、チーズはサンルームの椅子の上で寝ている。椅子はパソコンのところにある椅子だ。昨日から空腹を訴えて鳴き疲れて寝ているらしい。
 地域猫というのがあるらしい。野良猫の異常繁殖を恐れて、捕獲した野良猫をボランティアの獣医師らが去勢や不妊手術を施して、また野生(?)に返すのである。文明が発達した世の中、人間と共生するためには猫も自然のコントロールだけでなく人工のコントロールを受けるハメにおちいっているのだ。可哀そうだが、当面の生を生き抜くためにはひとつの試みであろう。非難する人は別のアイデアを提示・実行しなければならない。
 さまざまの儀式をこなしてきたチーズ・カマ・ペコも、最後のリスクマネジメントを施されることになった。このまま当家に飼われるにしても、何らかの理由で家を出ることになったとしても、新たな問題の原因はなくしておかねばならない。いくら人の好い飼い主でも、将軍綱吉のように無制限に動物を飼育できるわけはない。
 あらかじめ予約しておき、昨日、入院させた。1日絶食状態にされた後、子宮と卵巣の摘出手術を受けたのである。手術の苦痛よりも、やはりチーズにとっては、空腹が一番こたえたらしく、鳴き続けていたそうだ。帰ってきたチーズは、既に食事を終え、何事もなかったように寝ている。腹部は縫われており、抜糸は1週間後だ。しかし、包帯も巻かれていない。簡単なものである。ちなみに費用はすべて鳴海風もちである。
 定例のトレーニングの結果。血圧、問題なし。肥満度−0.9%、体脂肪率18.1%だった。

03年11月はここ

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